昭和28年(1953年)に創業した石田缶詰株式会社。もともと農園を営まれていてフルーツの瓶詰めジャムなどを始めたのが創業のきっかけだとお聞きしました。
現在三代目となる代表取締役 石田雅則さんは、幼い頃から工場で遊んでいて従業員の方たちとも親しくされていたそうです。長男ということもあって学生の頃から当たり前のように後を継ぐものと思っていたそうです。
そんな代表取締役 石田雅則さんに、食文化の多様化と取り扱う商品の変遷についてお聞きしました。
「桃の缶詰とかね、フルーツをそのままの形で缶詰にしていたよ。」
みかん、桃、ぶどう、タケノコなどの農産缶詰を製造していました。
「果物とか野菜は同じ時期に大量にできてしまう。缶詰にすれば保存が効いていつでも食べられる」
カツオやマグロ、サバなどの水産缶詰も製造していました。
「焼津は缶詰会社がたくさんある。焼津の缶詰技術は水産加工からきているんだよ」
石田社長は教えてくれました。ほとんどが素材そのままを缶詰にしていたと言います。

生の果物を遠方まで輸送することが可能になった現代は、缶詰の需要が昔と比べて少なくなったと言います。現在はレトルトパウチ製法でお客様の要望を商品にしています。
SDGs(持続可能な世界の実現に向けた目標)でも食品ロスの問題が取り上げられています。保存が可能な缶詰やレトルトパウチ製法は食べ物を無駄にしない技術です。
「食品残渣もそうだし、その手前のところで、農家では収穫した多くの野菜が出荷できずに廃棄されている。水産業界でも、食べられるはずの水産物の端材が飼料になっています。各業界から、それらを使って保存食を作ることはできないかというお声がかかります。」
廃棄食材を使った保存食の製造は、持続可能な世界に向けた活動にもなります。
「保存の効かない農産物や水産物を使って、レトルトのカレーやソースを製造にしています。高校生と一緒にメロンカレーやイチゴカレーも開発しました。スーパーで販売もしているんです。」
とても意義のある食品製造をされていると感じました。廃棄食材問題の解決に一役買っているというお仕事は、働いている人たちの《働きがい》にもつながるはずです。
創業から70年という長い歴史のある会社ですが、お話を伺って、社会をより良くするために、常に新しい挑戦をしていることがわかりました。これから石田缶詰株式会社がつくる商品や、今後の活動が楽しみです。


執筆者:武田宗徳(C’mon Wakamon編集部)
藤枝生まれ藤枝育ちの二児の父。20年ほど続けてきたサラリーマン生活に終止符を打ち、現在は執筆業を中心に活動している。


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石田缶詰株式会社
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